化学療法(抗がん剤治療)で健康を失う体験をした。
それは、白血病が判明したときとはまた別の種類の健康の喪失だった。
健康を失うことで、実際に奪われたことを書いていく。
健康には、段階がある
白血病と診断されたとき、自分は「将来を失った」と感じた。
例えば、家族をつくること。
いつ死ぬかわからない人間が、家庭を持てるだろうか。
希望の喪失という意味で、健康を失った。
それは大きな喪失だった。
人生設計が崩れ、未来の前提が消える。
健康であることが、人生の選択肢を広げていた。
でも、化学療法で体験したのは、それとはまったく別の健康の喪失だった。
白血病の判明で失ったのは、「将来を考えられる健康」だった。
化学療法の強い副作用で失ったのは、「今を生きるための健康」だった。
本当に何もできない状態
歩けない。トイレからベッドまでの数十歩が果てしなく遠い。
しゃべれない。言葉を絞り出すだけで、命を削られるよう。
思考できない。考えようとしても、頭痛が思考を停止させる。
まな板の上で死にかけている活魚のようだった。
動いているように見えて、もう何もできない。
体の不調はメンタルにも甚大な影響を及ぼした。
前向きになれない、どころではない。
痛みと苦しみから解放されたくて、死にたいという思いが頭に忍び込んできた。
「気持ち」や「感情」は、「行動」によって(ある程度)動かすことができる。
でも、健康を失うと、その「行動」そのものが奪われる。
行動できない以上、気持ちと感情は悪化するしかなかった。
できていたことが、ひとつずつ失われていく
健康なとき、多くのことを無意識にやっている。
立つ。
歩く。
水を飲む。
トイレに行く。
体調を説明する。
それらが、ひとつずつできなくなっていく。
できなくなるたびに、「一人では何もできない人間なんだ」という気持ちが積み重なっていく。
無力感が、確実に広がっていく。
努力ではどうにもできない。
体がそうなってしまったのだ。
それが「健康の喪失」。
健康は、土台だった
健康は、すべての行動と思考の土台だった。
その土台が崩れて、行動も、思考も、判断も、尊厳も、一緒に崩れた。
誰にも伝えられなくなる
さらに厄介だったのは、この状態になると自分のつらさをうまく伝えられなくなったことだ。
体力がなさすぎて言葉が出ない。
説明する力がない。
判断する余裕もない。
察してほしいわけではない。
でも、体調が悪すぎて、「察してちゃん」にならざるをえない状態になった。
そういうときに、医療スタッフに機械のような対応をされると絶望感は積み増された。
健康を失った患者にとって、対応の質がどれほど影響するかを知った。
次からは、抗がん剤治療の経過について、この「健康が崩れていく現実」の中で起きたことを記録していく。